移住者インタビュー【2016年8月】~Uターンして自然農~
[2021年6月4日]
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千文さん)元々は池田町1丁目の出身で、大学への進学をきっかけに上京しました。美術大学卒業後は広告代理店でデザインの仕事をしていました。
実家は兼業農家で、子どもの頃からよく田んぼの手伝いをしていましたね。22歳の時に父親を亡くしてからは、田んぼは母親が見ていましたが、自分は長男ということもあって田植えや稲刈りなど一か月に1、2度くらいの頻度で池田へ帰って田んぼの管理をしていました。
40歳になった頃から定年後は故郷に帰って、自分のペースで農業をやりたいと思うようになりました。
ただ、自分の父親が定年退職をして間もなく亡くなったことを思うと、先延ばしにすると実現できないかもしれない。それに体力のあるうちに農業を始めたいと50歳の節目に退職しました。
千文さん)2013年に池田町にUターンをして妻と一緒に生家で暮らしていましたが、家が老朽化し
ていることもあって、所有している農地の一部を宅地化して家を新築することにしました。農地を宅地に変えるための手続きに思ったより時間がかかって、家が完成するまで2年くらいかかりましたね。
東京には妻の実家があり、初めは東京と長野の二地域居住のつもりで住み始めましたが、いまではほとんどを池田町で過ごしています。
千文さん)頻繁に池田へ帰っていたから、これといった驚きはないし、特別な苦労もなかったですね。
池田町に住民票を移して自治会にも入りました。忘年会や新年会といった行事はありますが、しがらみはなく楽しんでいます。
東京で暮らしていた時は、あまり近所との付き合いもなく、ちょっと寂しい気がしましたね。こちらでは自分から心を開けば皆温かく接してくれます。
中学・高校時代は外へ出て違う世界を見たいと思っていましたが、故郷に帰って暮らしてみるとあらためて良いところだなと思います。
由紀子さん)近所の方とは多少面識はありましたが、知り合いらしい知り合いはいなかったので、初め不安はありました。実際に住み始めると、皆さん親切な方ばかりで、周りの人に支えられながら日々暮らしています。
千文さん)自然農法でお米や野菜を栽培しています。収穫した農産物は地元の農産物生産者組合に出荷しています。
自然農法で栽培しているのは、隣の田んぼがずっと有機栽培でやっていたのを見ていたからかもしれません。昔はどこも農薬を使わないで栽培していたわけだから、わざわざ農薬を使わなくてもできるのではないかと。
それに安曇野は自然農法が盛んな場所です。自然農法については安曇野市の自給農スクールに通って勉強しました。
農業は一人でやっているようだけど田んぼの畔草刈りにしても近所と持ちつ持たれつで成り立っているところがあります。地元に溶け込むことで農業がやりやすくなりますね。農業の先輩たちからいろいろなアドバイスももらえます。
由紀子さん)実家は東京の立川市ですが、子どもの頃、両親が畑で野菜を作っていたりして、土を触るのは好きでしたね。
本格的な野菜作りはこちらに来てからですが、楽しみながら取り組んでいます。こちらは空が広くて、畑作業の合間に見上げる空が素晴らしいです。
千文さん)今後はもっと自給率を高めていきたいですね。今でもお米は100%自分の田んぼで作ったもので、野菜も半分以上は自給しています。
これからは野菜だけでなく、味噌やしょう油、植物油なども自分たちで楽しみながら作っていけたら良いですね。鶏やヤギも飼ってみたいです。
由紀子さん)野菜だけでなく、ハーブやベリーの栽培などいろいろなものに挑戦していきたいです。また、畑で穫れた野菜で加工品も作れたらいいですね。
由紀子さん)まずは一度池田町に来てほしいですね。実際に町を回ってみたり、町の人と話してみると良いと思います。
千文さん)池田は自然が豊かだけど、適度な田舎なのでとても暮らしやすい場所です。総合病院もあるし、コンビニやスーパーもある。そしてなにより住んでいる人たちが優しいですね。
池田町を気に入って住んでくれる方の力になりたいです。一緒に楽しみながら池田町を盛り上げていきましょう。Copyright (C) town ikeda All Rights Reserved.