むかしむかしずっとむかし、東山の高いところに田の入城という山城がありました。
そこには太郎丸という母のいない若君がおりました。
ある日のこと太郎丸に、おりくという二度目の母君がこられました。
太郎丸はうれしさのあまり、おりくのひざもとへかけよりました。すると、おりくは太郎丸の手をとって、
「そなたが太郎丸か?今日からは、このおりくがそなたの新しい母じゃ、そなたはたいへんよい子じゃと聞いたが年はいくつになりましたな?」
「五歳にござりまする」
「そうか、ほんとうにかしこい子じゃ、お父上のようにりっぱな殿様にお育ちなさらなくてはなりませぬぞえ」
と、やさしげにいいました。
ところがつぎの年、おりくは男の子を産みました。その名を次郎丸と名づけました。
次郎丸は生まれた時からとても大きくて日ごとにすくすくと成長し、だれもがおどろきの目をみはるほどでした。
おりくは、この次郎丸を見ているうちに、次郎丸がかわいくて、だんだん太郎丸をじゃまに思うようになりました。
(なんとかして次郎丸を、この城の城主にしたいものよ、だが太郎丸がいたのでは、そうもいくまい)
おりくは毎日毎日このことを考えつづけておりました。
ある夏の暑い日、おりくは裏の崖のそばですずんでおりました。
その時、きゅうに谷間から吹き上げてきた強い風にあおられて、もう少しで、おりくは崖下におちそうになりました。
(ああおそろしや、この崖、切り立った岩、魔の崖にちがいない)
おりくはそう思ったしゅん間にあることを思いつきました。
(そうだ、この崖へ太郎丸をおとしてしまいさえすれば、この城は次郎丸のものになるわい)
おりくは自分の心のおそろしさにうちふるえながらも今日こそは、今日こそはと、太郎丸を崖からおとす時をねらっておりました。しかし暑い夏もすぎ、とうとう秋の終わりになりました。
おりくは、なんとかして太郎丸をだますよい方法はないものかと考えたすえ、やさしげにいいました。
「太郎丸殿、あの空一面にとんでいるあきつ(トンボ)を見てごらん、取ってみたいとは思わぬか?」
「はい、とても欲しゅうございますが、太郎丸には、なかなかつかまえられませぬ。」
と、太郎丸はあまえるようにいいました。
「それはそうよのう、ではだれにもないしょで、たくさんとれるところを、このおりくが教えてしんぜようぞ」
「ほんとうにござりますか母上、それはどこなのでござりますか?」
太郎丸は目をかがやかせてたずねました。
すると、おりくは太郎丸の耳もとで小さな声でいいました。
「よいか、あすの朝。日の出のころ、そっと裏の崖をのぞいて見るがよい。前の日に太陽で暖められた岩はだに何百何千とも知れぬあきつの大群が羽を休めておるにちがいない」
ここまで聞いた太郎丸は、おりくの顔を見上げてしんぱいそうにもういちどたずねました。
「母上、あの崖のあきつが太郎丸につかまえられるのでござりますか?」
「ああ、つかまえられるとも、あきつの羽が朝つゆでぬれているうちは飛べないのじゃ」
つぎの朝、太郎丸は夜明けとともに裏の崖へ出かけていきました。
そしておりくのいったとおり崖のはしに腹ばいになって下をのぞくと、切り立った絶壁の岩肌が見えないほど、真っ赤なあきつの群れが止まっておりました。
(うわぁーすごい)
母上のおおせられたことはほんとうだ。そう思った太郎丸は息を止めて、小さな手を力いっぱいのばしてあきつの一羽をつかまえました。
そのしゅん間、あとからついてきたおりくは、鬼のような顔になって太郎丸を崖に、つきおとしました。
「わあ──」
という叫び声を残して谷底におちていった太郎丸は犀川から、もくもくとたち登ってくる朝霧の白いもやの中に消えてしまいました。
それから間もなくして太郎丸がいなくなったことに気づいた城の内外では、夜になっても太郎丸を呼ぶ声が山にひびきました。
けわしい谷間のこと、太郎丸の姿は、なかなか見つからないまま秋も深まり冬が近づいてきました。そひてとうとう山にちらちらと初雪がまいはじめました。
それから数日後、とても寒い朝のことでした。板にのせられた太郎丸は氷のように冷たく無ざんな姿になって城に運びこまれてきました。
かわりはてた太郎丸の真っ白い手には色のあせたあきつが一羽しっかりとにぎられておりました。
今でも、この崖を、「ままこおとし」といっています。
出典 あづみ野池田の民話(平林芳子)
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