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池田町の指定文化財(民俗文化財)

[2018年9月25日]

ID:361

池田町の指定文化財(民俗文化財)

1 絵馬(池田八幡神社)

  • 員数 13枚
  • 種別 絵馬
  • 所有者 池田八幡神社
  • 所在地 池田三丁目
  • 指定 町指定第29号 昭和53年4月1日

概要

 絵馬は神仏に祈願のため、また祈願成就のお礼に奉納する板絵である。古代は馬を紙に献じたが、時代が進むに従って馬の代わりに絵馬が奉納されるようになったのである。池田八幡神社には多くの絵馬が奉納されている。年代的には文化11年(1814)のものから明治17年のものまでで、この中に1点だけ年号不詳のものがある。
 以下年代順に記述する。


1・孔子像 文化11年(1814)
 孔子は中国春秋時代の人で儒教の祖である。東洋の倫理道徳を説き、世界四大聖賢の一人である。
2・鶏図(にわとりず) 文政6年(1823)
 「木界」と銘して捺印されている。杉山茂樹(池田学問所師匠)門弟18人により奉納されたものである。
3・鬼神を討つ図 文政7年(1824)
 源頼朝の臣渡辺綱(わたなべつな)が、羅生門に住まう鬼神茨木童子(いばらきどうじ)と戦って、その片腕を斬り落とす絵図で、

 観世小次郎の能楽に語られている物語絵図である。12人により奉納されたものである。
4・巴御前(ともえごぜん)武勇伝 文政8年(1825)
 杉山茂樹門人12人により奉納されたものである。
5・紫式部 文政10年(1827)
 12人により奉納されたものである。
6・源平合戦 天保4年(1833)
 杉山巣雲門弟16人により奉納されたものである。
7・鵺(ぬえ)を討つ図 天保9年(1838)
 狩野法摘み永伯藤義信の銘がある。
8・和歌三仙 弘化4年(1847)
 和歌三仙とは衣通姫(そとおりひめ)・柿本人磨・住吉明神をいう。狩野松眠盛信の銘がある。奉納者25人の名前が書かれている。
9・源義経の武者姿 文久2年(1862)
10・紫式部 文久3年(1863)
11・巴御前武勇伝 明治3年(1870)
  市川友文(池田学問所師匠)門弟15人により奉納されたものである。
12・鞍馬天狗 明治17年(1884)
13・小野小町 年代不詳
  杉山巣雲門弟20人により奉納されたものである。

絵馬奉納者には池田学問所関係の人達の名前が多く見られる。
池田八幡神社の絵馬は、年代の古さと、優れた作者の作品であり貴重である。

8.和歌三仙 弘化4年(1847)

9.源義経の武者姿
文久2年(1862)

11.巴御前武勇伝

2 八代神明宮の陳札

  • 員数 11枚
  • 種別 古記録(陳札)
  • 所有者 陸郷八代区
  • 所在地 陸郷八代
  • 指定 町指定第37号 平成13年3月16日

概要

 八代の集落は滝沢の長福寺裏の道を登って、八代峠を越えて行ったところにある。向かいは「夢農場」となっている。この道から清水へ向かって少し登って所に八代神明宮がある。
 八代神明宮の建物は、国宝に指定されている大町市宮本の「仁科神明宮」と同じく、神明造り(しんめいづくり)である。仁科神明宮には20年毎の式年遷宮(しきねんせんぐう)の度に記録された古い棟札(むなふだ)が揃っていて国の重要文化財に指定されている。八代神明宮も棟札を見ると六百年近い歴史を持っており、多くの古い棟札を所蔵している。八代で最も古い棟札は応永三年(1396)のもので、仁科神明宮で二番目に古い棟札と同じ年のものである。その後明治になるまでの間に書かれた11枚の棟札が町の文化財に指定されている。それらの棟札を書き出してみると次のようである。
  
  応永三年(1386)2月28日        仁科孫三郎盛房嫡子長熊丸同兄姉女子等
  応永二十三年(1416)        仁科禅正少弼平盛房法名盛雄同嫡子左近蔵人盛豊同兄弟女子等
  明応五年(1496)          仁科孫三郎平明盛
  永正十三年(1516)         仁科孫三郎盛国
  元和二年(1616)         小笠原右近太夫源忠政 小笠原幸松丸 執権淡路守滋野信伴
  宝暦六年(1756)         社村氏子中
  安永五年(1776)         社村氏子中
  寛政八年(1796)         社村氏子中
  文化十三年(1816)          社村氏子中
  天保七年(1836)         八代村氏子中
  安政三年(1856)         松平丹波守藤原朝臣光則(みつひさ)御代 社村氏子中
 
 棟札には、この神社御宝殿造り替えの年月日、奉仕者、杣山入初(そまやまいりぞめ)・手斧初(ちょうなはじめ)・御借屋遷(おかりやうつし)・柱立・棟上(むねあげ)・御遷宮(ごせんぐう)の日時、神主、工事関係の奉行人・大工・権(ごん)大工・少工・釘(くぎ)奉行・銅細工・鍛冶・屋根師・轆轤師(ろくろし)などの名前が書かれている。仁科神明宮の棟札には、工事にかかった費用のことも書かれているが、八代神明宮の棟札には費用に関する記録は無い。
 棟札には、八代神明宮は白鳳元年(650)の勧請(かんじょう)であると書かれている。
 御遷宮の造営奉仕者は、江戸時代中頃までは領主の仁科氏や歴代松本藩主が勤めておりその後氏子が中心となって神明宮の造営にあたってきたようである。明治維新以後は、県・郡や氏子崇敬者がその役を担ってきている。造営費用の捻出には随分苦労し、県・郡・村などの協力を得て、ようやく造営が続けられてきている。八代神明宮では、宮本の仁科神明宮の残木を使って遷宮する異が式例になっていたとあり、仁科神明宮との関係がわかる。
 八代の集落には元は十数軒の家があり、氏子の寄付などで神社の造営がなんとか続けられてきたのであるが、氏子たちが村を去った今、どのようにして永い歴史を持つ八代神明宮の式年遷宮を続けていったらよいものだろうか。約六百年の歴史を記録している八代神明宮の棟札は、大変貴重な文化財である。

八代神明宮棟札(表)右から
安永5年、寛政8年、文化3年、 天保7年、安政3年

  八代神明宮棟札(裏)

棟札の部分 応永3年

3 相道寺焼神器三種

  • 員数 3点
  • 種別 民俗資料
  • 所有者 相道寺集落庚申仲間
  • 所在地 会染相道寺
  • 指定 町指定第1号 昭和45年4月1日

概要

 相道寺焼神器の高台裏(こうだいうら)には文化12年(1815)4月と制作年代が明記されている。これは相道寺焼が始められた明和4年(1767)から48年を経た年であり、窯の規模を拡張した享和元年(1801)から数えて14年目に当たり量産、技術的な面からも最も爛熟(らんじゅく)した最盛期のものと推測される。
 神器3点(徳利(とっくり)、香炉(こうろ)、灯明台(とうみょうだい))は相道寺焼を代表する陶器といっても過言ではない。竹べらで掻き落として二段の文様をつけ、糸尻は糸切りのままで右回転している。釉薬(ゆうやく)は濃い飴ぐすりを全体にかけ、陶器の焼成(しょうせい)温度としてはやや高い摂氏1,250度程度の酸化焼成で縁に二重かけしたウの斑(ふ)ぐすり(長石と雑木灰(ぞうきばい)で作った土灰釉(どはいゆう)に籾殻(もみがら)の灰を加えて作ったもの)がほどよく溶け、濃い飴ぐすりと融和して神器らしい気品を醸(かも)し出している。この神器は相道寺集落庚申(こうしん)仲間によって保存されている。

(左から)徳利、香炉、灯明台

神器の底面

4 滝の台遺跡 やりがんな

  • 員数 1本
  • 種別 美術工芸品
  • 所有者 池田町
  • 所在地 池田町三丁目
  • 指定 町指定第39号 平成23年9月28日

概要 

 滝の台遺跡を平成3年9月から11月にかけて発掘した所、遺跡2号住居址より出土した。弥生時代後期の古さならびに出土品が少ないため大変貴重である。
鉄製で、槍のように尖った先端の両側面を刃とし、板の表面を削って平に仕上げるのに使われた木工具の身の部分。身は反っている。

滝の台遺跡 やりがんな

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